2つ目の脳みそ

私の私による私のためのブログ

ボケ防止

天に昇った若駒

ここ数日、ずっと頭から離れない。

声を上げてわんわん泣けるわけでもなく、それなのに私のところから消えていこうとしない思い。


 

人の最期ってどんな気持ちでいるんだろう。

 

大往生で眠るように亡くなる人。

病気やケガでもっと生きたいと思いながら亡くなる人。

もう生きたくないからとその思いだけで亡くなる人。

 

私はあまり長く生きたくない。

それにわりとすぐに死にたくなる。

積極的に死にたいわけでもないけど生きるのは面倒くさい。

そんな感じ。

大きな悩みがあるとかでもなく、子供の頃から人生観がそんな感じだった。

 

あなた明日死にますよって言われたらもっと生きたいって思うのかな?

あれもしたいこれもしたいって思うのかな? 

自分には明日があるってどこかで信じているのかな?

 

私は自分の最期の瞬間、何を思って死んでいくんだろう。

 

 

そしてこんな考えの私なのに、自分の周りの人には生きてほしいと思っている。

みんな生きてほしい。

本当に身勝手だと思う。

 

それは時に赤の他人に対しても。

 

ファンを公言したり、彼目当てに作品を見に行くってこともなかったけど、普通に好き。かっこいいな、演技うまいな、優しそうだなって。その程度。

その程度の思い入れのはずなのに、なぜか心がえぐれるようにつらい。

そして私みたいな人が今、日本中に、もしかしたら世界中に沢山いるんじゃないかと思う。

 

すごく好き。けっこう好き。ちょっと好き。なんとなく好き。

どんな時だってすごく好きっていう人の存在は見えるものだけど、それ以外はあんまり気づかれないのかもしれない。確かにそこにあるのに。たくさんたくさんあるのに。

 

その見えない部分が見えるようになれば救われる人がいると思う。

だけど見えることで苦しくなる人もきっといる。

 

私たちは同じ時代に同じ場所で生きているけど、結局それぞれの世界は違うんだよね。

何食わぬ顔をして隣にいる相手が、この瞬間にも絶望を感じているかもしれない。

同じように、私の心の中も私が隠そうとすればいくらでも隠せるということ。

 

 

心に何を抱えていたのか。

最期に何を思っていたのか。

気づいてほしかったのか。

気づかれたくなかったのか。

 

それは彼にしかわからない。

理由なんかどうでもいい。

 

もし、最期の瞬間に重く苦しい気持ちがあったとしても、自分の生きてきた道を振り返った時に、その中に少しでも幸福を見つけてほしい。

他人から見れば誰もが羨むくらい、容姿も人望も才能も、言ってしまえば将来性だって…すべてに価値がある人生だったと思う。

でもそんなのじゃなくて、彼にとっての幸福がたった1つでもあったことを、願わずにいられない。

そして旅立った先の世界が最も幸福を感じられる場所であってほしい。

ただただこの場所から、そう祈ることしかできない。

 

きっと何日か経てば、私はまたいつもの何気ない日常に戻るんだろう。

楽しいことと楽しくないことに囲まれてるうちに、

彼のことも時々思い出すくらいになって。

今溢れて仕方ない悲しさも忘れて。

また死にたいと言いながら生きる日々に。

本当に、本当に身勝手だと思う。